美波 近況が話題です。







大手プロを退社しパリで活動
日仏ハーフ女優・美波の挑戦

だそうです。

真相は・・・。


rapture_20180329110007



アーモンド形をしたブラウンの大きな瞳が印象的だ。

仏人の父親と日本人の母親を持つ女優の美波(31)。

3年前までホリプロに所属し
ドラマや映画、舞台、CMなど多方面で活動していた。

それを一度、リセットした今は、
単身パリに住み、
ひとつの夢に向かって試行錯誤の日々を送っている。



スポンサーリンク




■デビュー作は2000年、
映画「バトル・ロワイアル」

「私、ハーフで顔が濃いんです。
佐賀の女の子に見えますか? 
前髪を切ってみたんですが……」

29日から始まる舞台「悪人」
(企画・台本・演出=合津直枝)の通し稽古終了後、
息を弾ませながら苦笑いする。

九州を舞台にした
吉田修一の同名小説を原作とした2人芝居。

蜷川幸雄作品でヒロインを務めるなど
舞台経験は豊富だが、2人芝居は初めての挑戦だ。

「しびれますね。休む暇も息をつく暇もない。
しかも役者の言葉だけで世界観をつくり上げ、
お客さんに伝えなければいけない。

セリフの量も膨大で方言もあるので、
違和感と充足感が入り乱れているような状態です。

役をつくる作業って大変だし、
本当に苦労するんですが、このしびれる感じが、面白い」

 演じるのは、30歳目前にして
生まれ育った町から出られずにいる女性の役。

「光代(役名)が感じたことの
すべてを理解できるわけではないけれど、
フランスで暮らすようになった私は、
光代が感じた孤独を彼女と分かち合えたような気がした」

デビュー作は2000年、
映画「バトル・ロワイアル」
(深作欣二監督)だった。

その後、資生堂のCMキャラクターに起用され、
連ドラ出演や雑誌のモデルなど着実にキャリアを築いてきた。

転機が訪れたのは、
14年に文化庁の在外研修制度でパリへ留学したこと。

18歳の時に初めて訪れ、
「自分の鼓動と同じリズムを感じた」
という地で心に決めたのは、
「帰る場所を担保せず、片道切符でいいからフランスで生きたい」――。

1年間の留学を経て、事務所を退社。
現在はフリーで活動し、
仕事が入ると日本に戻る生活を送る。

「自分がいかに恵まれた環境にいたのかを痛感しました。
仕事が来るのが当たり前だと思っていたところもありました。

1年でも日本を離れたら忘れられるのは当たり前なのに、
こうしてお仕事をいただけることが本当にありがたい。

ただ、今の状況が私にとって
心地いいものかといったらそうではない。

中途半端な気もするし、迷いもある」

仏の映画界は閉ざされた世界。

日本生まれの女優が
入り込むことは決して容易ではないという。

それでも、

「とにかく芝居が好き。まだ諦めるには早い。
日仏の両方で活動ができて、
願わくば10年後に懸け橋を担う存在になっていたい」。

(小川泰加/日刊ゲンダイ)



rapture_20180329111010






美波さんフランスにいたんですね。

大変でしょうけど、
日仏合作映画の主演ができたらいいですね。


今後も注目です。


ブロトピ:今日のブログ更新






スポンサーリンク